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寂として
脳の障害により意識の消失を起こす私は、記憶の無い自己の存在を定義できずにいます。
現実も疑わしく感じられ「確かなものとは何か」という疑問が頭を埋めるのです。
この疑問を明らかにする方法が、木々を主とする生命に向けたネガポジ反転という技法でした。
生命から感じた印象は、視点を変えても変わらずにそこに在り、私自身の存在を示すものだったのです。
写真とは本来、対象を正確に描写するものとされますが、私の写真は感覚を可視化することで自己認識を促し、アイデンティティを問うものです。
美術史においても、存在の証明を問う作品が数多く制作されてきました。 例えば、20世紀の表現主義や抽象表現主義といった芸術運動は、主観的な感情や内面表現を重視して鑑賞者に影響を与えました。
私は写真技術の発展に伴い可能となった手法を活用しながらも、カメラが捉えた現実という描写を壊すことで存在の確認を試みます。
反転技法を施し、デジタル現像を重ねていく中で画像情報は壊れ失われていき、伝統和紙にプリントすることで滲み不鮮明な像となります。
写しとった現実が崩れていく中で、確かに感じた「命の印象」だけが抽出されるのです。
写真もデータやAIで補正できてしまう時代の中で確かだったことは「私が感じた」という事象だったのです。
そして思わされる「自分とは何か」という問いの正体を知るために、写真を通して感覚や印象の根源に迫り、新たな視点から思考を刺激することを目的とします。
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