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From the series " 寂として "

脳の障害により意識の消失を起こす私は、記憶の無い自己の存在を定義できずにいます。

現実も疑わしく感じられ「確かなものとは何か」という疑問が頭を埋めるのです。

 

この疑問を明らかにする方法が、木々を主とする生命に向けたネガポジ反転という技法でした。

生命から感じた印象は、視点を変えても変わらずにそこに在り、私自身の存在を示すものだったのです。

 

写真とは本来、対象を正確に描写するものとされますが、私の写真は感覚を可視化することで自己認識を促し、アイデンティティを問うものです。

 

私は写真技術の発展に伴い可能となった手法を活用しながらも、カメラが捉えた現実という描写を壊すことで存在の確認を試みます。

反転技法を施し、デジタル現像を重ねていく中で画像情報は壊れ失われていき、伝統和紙にプリントすることで滲み不鮮明な像となります。

 

写しとった現実が崩れていく中で、確かに感じた「命の印象」だけが抽出されるのです。

 

 

写真もデータやAIで補正できてしまう時代の中で確かだったことは「私が感じた」という事象だったのです。

そして思わされる「自分とは何か」という問いの正体を知るために、写真を通して感覚や印象の根源に迫り、新たな視点から思考を刺激することを目的とします。

I have lost consciousness due to a brain disorder, and I am unable to define my existence without memories.

Reality also seems doubtful, and the question of "what is certain" fills my mind.

The way to clarify this question was to use a technique called negative-positive inversion, which focuses on life, mainly trees.

The impressions I felt from life remained there even when I changed my perspective, and were a sign of my own existence.

A photograph is originally said to accurately depict an object, but my photographs encourage self-awareness and question identity by visualizing sensations.

While utilizing techniques that have become possible with the development of photographic technology, I attempt to confirm existence by destroying the depiction of reality captured by the camera.

Using the inversion technique and repeated digital development, the image information is destroyed and lost, and when printed on traditional Japanese paper, the image becomes blurred and unclear.

As the captured reality crumbles, only the "impression of life" that I felt was extracted.

In an age where photographs can be corrected with data and AI, the only thing that remained certain was the phenomenon of "what I felt."

And in order to understand the true nature of the question "Who am I?", the exhibition aims to get to the roots of sensations and impressions through photography and stimulate thinking from a new perspective.

Salon de la Photo「Les Zooms」評論

■ Simon Edwards(サイモン・エドワーズ)/ Salon de la Photo アートディレクター

本作は、「記憶の再解釈」をテーマにしている。

私たちは出来事や被写体のイメージを捉えることができるが、その瞬間の記憶は、当時抱いた感情と結びつき、必ずしも写し取ったままのものとは限らない。

竹腰は、現代の技術を用いてこれらの瞬間をネガのような繊細で幻想的な風景へと変換し、現実を再現するのではなく、むしろ感情を引き出すことを試みている。

アーティストにとって唯一確かな現実とは、「写真を撮ったその瞬間に何かを感じた」という事実であり、彼がその場の目撃者であったということだ。

こうして生み出されたイメージは、より静かで内省的な次元を帯び、記憶や、私たちの目やカメラが捉えるものを通して、「存在とは何か」「私たちは世界の中でどのような位置にいるのか」といった問いを投げかけている。

■ Cyrielle Gendron(シリエル・ジェンドロン)/『PHOTO』編集長

“森の写真家”である竹腰隼人にとって、写真とは記憶を刻みつける手段である。

彼にとって「記憶を探すこと」は、現実のあらゆる原則に問いを投げかけることにほかならない。

こうして彼の作品を形作る風景は、光に満ちた抽象的な絵画のように立ち現れる。

デジタル全盛の時代において、竹腰はあえて伝統的な手法を選び、和紙にプリントすることで、現実ではなく自身の感覚を写し取る。

彼の風景の中にあるのは、作家が思い描いた記憶だけ—それ以外のものは存在しない。

■ Damien Roué(ダミアン・ルエ)/『PHOTOTREND』編集長

私たちは、竹腰隼人のシリーズに深く心を動かされた。

彼はポジとネガを反転させることで、現実に挑み、生命の本質を浮かび上がらせる。

それぞれの作品が放つ夢幻的な雰囲気の中には、反転した表面の奥に潜む強い存在感がほのかに感じられる。

デジタル加工が当たり前になった現代において、竹腰の作品は「私たちは本当に見えているのか?」と問いかけてくる。

そして、唯一確かなものは「感じること」なのだと、そっと思い出させてくれる。

■ Gérald Vidamment(ジェラルド・ヴィダムマン)/ 『Compétence Photo』編集長

カメラでは、風景に対する自分の感情を翻訳するよりも、目に見える現実をそのまま書き写す方がずっと簡単だ。

反転技法と入念な後処理のおかげで、竹腰隼人の写真は、彼がシャッターを切った瞬間に経験したことを私たちに感じさせることに成功している。

時に暗く、時に明るく、しかし常に意図的に霞んでいる彼の写真は、私たち自身の感情に問いかける。

■ Gwénaëlle Fliti(グェナエル・フリティ)/ 『Fisheye』編集長

この技法は、作品のアプローチと目的にしっかりと結びついており、単なる装飾ではない。

その点は称賛に値する。記憶、存在、確かなもの、現実と非現実—こうしたテーマを、作家は奔放な詩情をもって探求している。

絵画的な表現は、私たちの思考に揺さぶりをかけ、自然へと引き込むモチーフは、日本の版画を思わせる。

非常に繊細で、心に響く作品だ。

■ Stéphane Brasca(ステファン・ブラスカ)/ 『de l'air』創刊者兼ディレクター

西洋の視点から見ると、そして日本美術の愛好家としても、竹腰隼人の写真には日本の版画へのオマージュを感じずにはいられない。

詩情、繊細さ、動物の存在、自然の圧倒的な気配、そして淡い色彩が作品全体に漂っている。

そこには、静かな哀愁と、絵画のように額装したくなるような抑えきれない衝動が共存しているのだ。

■ Léonor Matet(レオノール・マテ)/ 「Polka」図像学者

竹腰隼人は、自身の人生についての考察を、芸術的アプローチを通じて表現している。

それは、写真という手法を用いた探求であり、彼の存在への問いと深く結びついている。

そしてその作品は、夢幻的で瞑想的な日本の版画の伝統に、静かに、しかし確かに寄り添っている。

© Hayato Takekoshi All rights reserved.

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